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 昨日のことだけど、忘れないように日記に残してる。

 昨日は母親が認知症になる夢を見た。
 車に乗っていて、母親が助手席で私が運転席の後ろ。運転席には女の人がいて親戚らしかった。私は母親に「お母さん、今日は何かいいことあったの?」とゆっくり聞いた。助手席から振り向いた母は今のようなふくよかさが無く、身長もかなり縮んでいて、切なくなった。老化の不可逆性を目の当たりにする。「ちょっと声が小さくて聞こえない…」と子供のように運転席の女性に視線を向けた母は、もう心が遠くに行ってしまったんだなと悟った。これならいつもの能天気な声のでかさで「え!?」と言われた方が良い。
 車はちょうど日の出の頃、広い海岸に着いた。一面が干潟の海岸で、朝焼けからか、水場と濡れた砂が天国みたいな色に反射していた。私は干潟のある海岸に行ったことが無いけど、足場はしっかりしていて、3人で車を降りた。母親の手を取って数歩くらい歩いたら母親がしゃがみ込んだので、私は母親の背中を見下げる形になった。
 運転手の女性は「お母さんを置きに来た」と言った。母親をここに置き去りにする。それが一番心が楽になることかもしれないし、一番後悔することでもあると分かる。波が常に崩壊と再生を繰り返すように、母の脳もこうなるまで機能し続けて、もう二度と戻らないなら、もうこれ以上心を砕きたくないなと思った。
 母は私を苦しめたことの全ても忘れて、この海みたいな場所から辛うじて身体を糸で引いて動かしているような状態なのかな。だったらこの海に一人母を置いていくのは相応しいことのような気がした。だって母はもう正気じゃないし、人間社会と母なる海だったら、きっと海の方が近い場所だから。誰の知っている母でもないのに身体だけは残してしまって。
 認知症は治らない、それが一番絶望的な事だが、こんなことに限らずに、何事もただ進んでいく一方だということを忘れていたような気がする。風邪が治ったらいつも通りに「戻った」と思うし、喧嘩の後に謝れば関係が「戻った」と錯覚する。寝起きの髪を戻す、リモコンを元の場所に戻す、毎日何かを戻すように見えて、進んでいる中で整えているだけだって思った。風邪をひいても時間が進むのと同じく、障害を持ってそれでも尚進まなければいけないこと、戻ることは一つも無いことに気付かされた。

 ちょっと心配になって母親に電話した。今年初めての電話。引っ越しの話から切り出して、最後に「私今日、あんたが認知症になる夢みたわ。」と言った。「いやあたしもさ、初夢ばーちゃんが死ぬ夢だったよ~。でもなんだ今ピンピンしてるじゃんかよとか思ってさ」と言われた。豪快過ぎ。