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 超お久しぶりです。

 4月になり、無事に働き始めています。残業も全然なく、先輩も定時で帰れるときは帰っているみたい。明るいうちに帰れて幸せです。

 今年に入ってから自分の食事の記録を作っていたのだが、やっぱり続かなくなった。代わりに単純に食べたものを記録するアプリに記入している。その時の気持ちとかも入力できるといいんだけどな。でもスマホのキーボードって打ちにくいから嫌い。変換もおかしいし。
 職場の先輩には摂食障害だったことを話している。相談援助職なので、自分のことを予め理解してもらうことが大切だと思ったからなのと、どの先輩にもなんでこの仕事を選んだのか聞かれる時に、切っても切り離せない理由だからだ。
 自分の摂食障害を治したかったこととか、家庭教師をしていた子(とその家族)がADHDで生活に大きな影響を受けていたこととか、あんまり贅沢に生きられなかったこととか、そういうところを見てきたので。自分もそれに苦しめられたからこそ、今から救える人がいるのではないかと思う。

 最近は帰宅してから運動をすることにはまっている。ちょっと義務感を感じているところもあるのだが。物事を習慣化するためのメソッドが書いてある本はよく売れるが、私は運動の習慣化について最近一つの説を思いついている。私の拒食症の時期の感覚と交互する部分がある点で、習慣化とは違う意味合いになるかもしれないが。

 まず拒食症の時期は、腹筋に力を入れること、ドローイングを一日中、一時も気を抜かずにやっていた(寝る寸前まで)。そうすることで自分の身体が薄くなる感覚があり、拍動が身体によく響く感じがする。運動を続けていると、走ったりした後でもすぐに拍動の速さが元に戻るのが楽しかった記憶がある(アスリートは徐脈なので)。動いていない時はとにかくゆっくり心臓が波打っていたんだけど、当時の私は動きたいというより、心臓を動かしたくてたまらなかったのではないかと思い至った。
 つまりそれは走り始めた時の、少し心臓がきつくなる感じがもはや心地よいと思っていたということ。苦しいと思わず、自分の体重を減らすステップだとしか思っていなかったのだと思う。実際、拒食の時は3時間くらい炎天下の中で走っていたけどきつかった記憶は一切無い。達成感が頭に満ち溢れる感じで、躁みたいだった。

 ここで今の話。全くストレスは無いのだが、働き始めてからまた過食になり、運動なんてありえない状況だった。しかし3日前、試しにきつくなるまで走ってみると、たしかにあの苦しさの中にそう快感があることに気付いた。とりあえずそこからは運動は続いている。自分的には毎日はやらなくても良いと思っているのだが、心拍数を爆上げさせたい気持ちは持ち続けていたい。
 とにかく、心臓に負荷がかからない生活に慣れてしまわないことが大切だと思う。階段を使うとか、歩くとかでは生ぬるいと思う。それは運動ではなく生活だからだ。

 あと、運動が少し続いていても、過食衝動があまり収まらない。運動する前よりはだいぶましになったのだが。身体が欲していないことは十分に分かるようになった。それでも、どの時間になっても、どれだけ汗をかいていようと食べたくなるので、食行動に精神依存があるのだと思う。辛いなあ。早く楽に痩せたい。