2025.9.29
旅行に行ってきた。鎌倉周辺の寺社仏閣。欲を見せないようにと思いつつ、お守りを何個か購入した。わがままを許してくれる人と一緒に旅行したので、疲れた時に疲れたと言えて気が楽だった。お参りのために参拝することはほとんどなかったので、良い人生経験をさせてもらったと思う。
最近は、一昨年(学生時代)の自分の心の在り方について考えている。
一緒のクラスに、入学時には少しぽっちゃりしていた子がいた。今までの学生生活で散々人間関係で嫌な目に遭ってきたため、最初はかなり大人しい子だった。徐々に、私たちのクラスが老若男女集まって非常に仲が良いことが分かると、進んで愛されキャラに躍り出ていた。可愛がられることが好きなんだなと、者に構えて考えてしまうのは自分の非常に悪い癖だった。結局そうやってその子を真正面から受け入れないまま、その子は一年間でどんどん痩せて、ダブルで国家資格を勝ち取っていた。
私は受験と一人暮らしのストレスから過食嘔吐の波が常にあり、しかもそれを学校での態度にまで持ち越すことも何度かあった。そういう日は、その子が労いの言葉をかけてくれた。人の気持ちに敏感で、すごく優しい人。一方私は素直になれないというか、面白い、賢いと思われたい気持ちが強すぎて、言葉がきつくなったり、少し痛くて、あの優しくて個性的なクラスメイトの中では一番陰が薄かったと思う。個性がないのだ。私は。真面目で頭が固くて、言葉がきついだけ。しっかりしてると表現してくれる人はいたが、それも皆が優しいだけだった。あの子のようにクラスメイトに向かって「皆が大好き」とはっきり言えるくらい愛の深い人間だったら、私も今まで苦しんできた様々な困難を克服できたのだろうか。でも、クラスメイトからの愛を一身に受け、それを身一つで精いっぱい返す彼女を見ると、どうしても辛くなるのだ。私だって友達にそういう時期があって、しっかり裏切られりしたし。どうして私はいつも結末を汚してしまうのだろうか。
9.17
先輩から節酒に関する本を借りていて、自分のためになる内容も盛りだくさんだったので備忘録とする。タイトルは『あなたの飲酒をコントロールする』W.R.ミラー著 R.F.ミューノス著。(どうしても断酒に踏み切れない人向けの本です。飲酒の問題が一つ発生した時点で断酒を強く勧めます。)
数ある事例も紹介されていたのだけれど、アディクションは奥が深い。私も自分の過食をできる限り客観的に把握していたつもりではあるのだが、支援者がここまで綿密にアディクトの発生状況や心理状態を分析するのは大変なことであったろうと思う。本当は私もこういう研究に関わって、臨床で治療できる人間になりたいのだけれど、そんなことは無理だから、違う方法でこれを叶えたい。作品を残すとか。
あまりにも経済的不安が尽きないので、とうとうdocomoのHOME5Gを解約した。7月に月額料金も上がったし、大して通信が早いわけでもないし。1月30ギガの他社に乗り換えた。これでもルーターの本体代を払い続けなければいけないのは解せない。30ギガはけっこう節約しないといけない。YouTubeは最低画質だし、SNSもさらに見なくなった。逆に、ダウンロードができるAmazon primeを最大限に活用している。ずっと見たかったヘルヴァボスがいつの間にか登場していたので、大切に拝聴させていただいている。
けっこう不便で、料金の代わりにデータ使用料はかなり気にするようにはなったが、スマホを使い過ぎるよりはましだ。こういう時代だからこそ、フェルミ推定しなければ。
塾の先生とたまにご飯に行っている。先生はベーシックという言語を使ったプログラミングで発明品を作るのが好きで、ラジコンやよく分からないセンサーを自慢してくる。よく分からないが、楽しそうなので私も何か作ってみたい。でも作りたいものが分からなくて困っている。どこまでの処理ができるのか分からないから、考えの枠組みがなくて思いつかないだけ?それとも、長らく自分の頭を使ってなかったから鈍ったのか?前者であると願いたい。少しベーシックについて調べてから、構想を練ろうと思う。
R7.9.16
過食したりしなかったりしています。
職場の昼休憩は自分の車で取っていて、窓を全開にして寝ているので気温が下がると非常に嬉しい。単純にエアコンのためにガソリンを使いたくないだけ。貧困は身近にある。
Stable. 仕事は一時やる気を持って意気揚々と取り組んでいたのだけど、良い波も長くは続かなかった。かといって荒波が押し寄せるでもない。やるべきことが何かすら分からない。1年目は分からないことが辛かったけれど、もうしがみつくのは止めた。理由の分からない不安に対して毎日過食で耐えるのは止めて、不安すら認知しない方が自分のためだ。自分は何もできないし、仕事は辛いのがデフォルトだし。
仕事終わりのジムは、義務感を覚えないように工夫している。考え方を変えるにはテクニックが必要だが、意識すればできないことはない。最近体の調子が悪かったのを口実にして、また一つ自分に甘くなった。今の標語は、「歩くだけでも良い。でも走りたいなら走っても良い」です。これが意外と自分の性に合う。無理してでも歩こうと思って本当に歩いただけの日があったけど、ひどい罪悪感を覚えた。だからどんな選択をしても自分を許せるように最初から道を複数用意する。何をしても自己責任ではあるけれど、私は私の選択を許す。その選択をした私を心から尊重してくれるのも、紛れもない自分だけだから。
そういえば最近、どんなきっかけだったか忘れてしまったけれど、一度過食嘔吐した。理由を覚えてない。記憶が飛ぶほどショックだったのか、しょうもないことだったのか。
3年前に「過食は治る」という本を読んだことがあり、吐きながら、当時がむしゃらにそのプログラムを実践していたことを思い出した。簡単にいうとひたすら三食のリズムで食事をとり、レコーディングしていくのだ。もちろん、4日くらいでやめた。続かなかったのではなく、”止めた”のだ。自分の食行動や欲求の全てが許せなかったから、食べたものと向き合ってしまえば、自分をますます許せなくなる。いつだって崖っぷちの自己肯定感だ。女の子の身体は甘いものでできているという言葉があるけれど、私の身体を作っているのは安くてジャンクで薄汚れた食べ物ばかりだ。世界が原子でできていて良かった。食べた物が魂や身体組織にまで影響したら、私はどんどん醜くなっていたはずだから。
7/29
日記の更新頻度がだんだんと低下していく様は、私の人生みたいだと思う。ずるずると無駄に、でもまだ生きている。
高校生の友人と3人で旅行に行ってきた。私だけやっぱり垢抜けておらず、可愛くなかった。皆知らないうちに美しくなっていく。同じ時間を生きているはずなのに、私の皮膚だけがたるんで、太って、醜くなっているようだ。
Nちゃんは他人に厳しい。言葉では言わないけれど、言葉以外の全てで厳しさを訴えてくる。時間や、他人だけが楽しんでいる空間、常識やルール、他人の視線、自分のエゴや感情のあらゆるものに敏感なのだろう。そういうところがあるけれど、良い子だ。1年ぶりに会ってまた可愛くなっていて、きちんとその裏に努力がある。
Yちゃんは優しくて空気が読める。彼女と二人で恋人の話をした。私たちは彼氏のことが大好きだ。彼女は高校時代からとても可愛かったのだけど、今はさらに可愛い。「彼氏がいてくれることが当たり前ではないから、自分磨きをすることは相手への礼儀だと思う」と話していた。
最近、自分を許すということを意識している。仕事で怒られた、上手くいかなかった、ジムで走らなかった、食べてしまった、過食してしまった、吐いてしまった。でも、自分以外から自分を否定されたことなんて一度もなかったはずだから、私は私を許すだけで良い。
三人でコスメを見ていると、自分磨きというものは、想像するよりもワクワクやトキメキが詰まっていることなのだろうと思える。高い化粧品への期待や際限のない美、可愛さへの探求に真正面から迎える自信。自分にもあるはずだったし、少しずつそういう自分への期待も回復してきている。今はそもそも肌が汚すぎて話にならないので、そういうところからちゃんとやっていきたい。あと汗っかきなところとか頬骨がきもいくらいに出ているところとか、顔が大きいところとか。野暮ったいままでは彼氏に申し訳が付かないし、ちゃんとしていたい。
4/7
めちゃくちゃ久しぶり。←これ毎回言ってる。
2月の中旬から温泉のあるジムに通い始めた。今年の冬は非常に寒かったが、水道・ガス代を気にしてゆっくり入浴できないことに限界を感じ、とうとう根負けした次第だ。ジムもあるとはいえ、運動は無理せず、まずは自分のために入浴にお金をかけようと思った。それにジムに通う前日まで過食嘔吐していたので、仕事終わりに走るなんて到底無理だと思っていたし。
結果、普通に走る習慣が付いた。勿体ない症が根本にあるのだが、せっかくジムも使い放題なんだから行かなきゃ損だろという思考になった。この2か月は、遠出する日以外はほとんどジムに行っている。走り方のフォームを日々見直してはいるが、股関節をしっかり痛めている。今日やっと接骨院に行ってきた。
今日の日記では、ジムが習慣になっていた期間の話と思考の変化をまとめたいと思う。
まず身体面での変化だが、走れる時間が徐々に伸び、30分くらいならそれなりに体力を残して走れるくらいにはなった。しかし重要なのは体重で、むしろ増えた。筋肉が増えたとかではなく、過食は継続していたからだ。(食事の時間も遅くなるので、その影響もあったと思う)健康な運動習慣を身に着けたところで過食がなくなるわけではないと立証。思いっきり走って汗を流すことは、ストレスを溜めないというだけで発散にはならない。所詮仕事終わりの2時間を、過食しないでジムで安全に過ごしているだけなのだ。
これには毎日焦っているし、正直落ち込んでいる。体重計で一喜一憂するが、原因しか思い当たらないし、それを止める術が無いのだから。体重を増やさないために毎日40分も走っているなんて馬鹿らしいだろう。過食さえ止められれば、1日で簡単に落ちるはずの体重が、こんなにも難しい。
夜は基本は野菜ジュースと豆腐(ダメな日はジム帰りにそのままコンビニによってしまうので、察しの通りです)。豆腐はたぶん日本で一番コスパの良い豆腐を買っているのだけど、水切りしてブレンダーにかけると最高に美味しいムースになるので、ココアを入れてムースにして食べている。一般人ならそもそもこんなものを夜に食べないと思うが、リハビリと思って。食べ物の選択肢は少ない方が安心する。まあでも豆腐だけの日でも体重に変わりは無いので、基準が食べ過ぎなんだろうな。
次に、それを受けての心境の変化について記録する。今回の経過で得たことは、自分のしていることが非常にばかばかしいと身をもって理解したことだ。そして、そろそろ自分の食行動の責任を引き受けるときが来たかもしれないと感じている。
アルコール依存症者の自助グループ(AA)には、回復のための12のステップというものがある。その1番目は「私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた」、5番目は「神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた」である。この2つに心から取り掛かるのは今であるべきだと直感している。
アディクションはもはや治らないものであり、手放すしかない。私は今も、過食という杖なしには1日たりとも生きられない。自分は無力である。その無力を、言葉の響きや潔さに酔い惑わされることなく、心の傷より深く心に刻み付けなければいけない。それは痛みとして、悲しみとしてだけではなく、手放した先の自分への期待という気持ちも込めないといけないと思う。難しいのだけれど、私は無力であって、もう摂食障害というものに勝てるなどとは到底思わない。
そして過食は間違いなく過ちである。ここまで過食を長引かせてきた自分の性格に起因するものだと思うのだが、私はこれまで自分の過食を認めたいあまり、仕方のないものだと正当化していた。それは自分でも思っていたし、むしろ自分を責めない、自己治癒仮説に基づいた考え方を評価していたからだ。自己肯定感や存在意義が全て打ち砕かれた時に救ってくれた考え方なので、今後も多くの人を救うと思うし、ここで全否定はしない。しかし回復を願うのであれば、過食は過ちであり、その本質をありのままに認めないといけない。
過食している自分はたしかに現実味は薄いが、意思行動は自分のものであり、責任ももちろん私にある。だから、過食を自分の責任の外に置くのはそろそろ卒業して、自分が選択して取った行動だと認める。過食をしないと生きていけない自分の弱さと、もはや自分ではコントロール不能な現実、一日一日を杖なしで歩く覚悟を決めたい。
つまりこれからは、ステップに基づいた考え方を取り入れ、自分の過食行動に責任を持ち、誤った時には毎回自分の本質(=弱さ?)と向き合うようにしていきます。
1/13
知り合いの家に遊びに行っていた。先週は寒波のニュースでもちきりだったので3連休は諦めていたのだが、普通に良い天気だった。水曜日の時点では、11日が一番ひどいと言っていたはずなのだけど。大寒波とか台風って大体前倒しになるよね。
前々から言っているが、仕事のことを考えると憂鬱になって仕方がない。これを眼にした人、自分が仕事ができるからといって、こういう気持ちを抱く若者を侮蔑しないでほしい。頑張ろうと思っているからこそ辛いのだ。仕事や自分を端から諦めていれば、こんなに苦しくないと思う。
急ぎでやらなきゃいけなかった仕事があることを土曜日に思い出して、休日出勤したりした。その時に勤務していた先輩には大したことは言われなかったが、あんまり良くないんじゃないかと思う。すぐ終わると思って私服で行ってしまったのが一番まずかったが。
しかし、仕事が嫌々といくら駄々をこねても、状況は変わらない。むしろ、常日頃心にそういう禍々しい気持ちを心に積もらせていると、気を付けていてもふとした時にその尻尾を引っ張ってくる人間が出てくる気がする。過去に、人と同じことをしているのに「適当にやってんの?」と半ギレで声をかけられたことがあった。次も同じことが起こらない保証はない。こういうことに困ったことがない人は、平常心を心掛けると言うより、態度に出さない方法を知っているのだろうか。
とにかく私は顔や態度に全て出てしまうようなので、仕事を嫌だと思う気持ちを忘れることが必要だ。私はただの歯車なのだと思うべきだ。
最近カラマーゾフの兄弟を読み返している。大学の時に読んだのとは訳者が違うものを。作中に出てくるアリョーシャの人物像は非常に魅力的だ。こんな性格だったら、社会に出てもそれなりにやっていくんだろうなという気さえする。
私も、自分が勇敢なことにさえ気付かない人間になりたい。相手が自分を嘲っているとさえ思わず、全てに感じ入って言葉を返すような青年に。自己肯定感の塊になれば、人の嘲りなど愛して迎え撃てるようになるのだろうか。そもそもこんな打算をしている時点で、アリョーシャには届かないのだが。
1/4
明けましておめでとうございます。昨年の4月から新社会人となり、散々な年でした。今年も同じようなことになるんだろうな~。連休中も仕事のことを考えてしまってすごく気が重かったです。明日から仕事。いっそのこと休んでないで働いていた方が良かったかも。
昨年の振り返りというか、気持ちの整理。
最初は、職場の人はすごく優しいし、聞いたら何でも教えてくれると思っていたけど、自分から聞かないと何も教えてくれないと、気付くのが遅かった。当たり前だが。結局何一つ身にならず、その場しのぎの仕事をしていた。何から何まで確認するわけにはいかないし、何を誰にどの順番で共有した方が良いのかも分からないまま年を越しました。合間を縫って先輩に聞くと、これはもっと早くした方が良かったねーとか、誰々に先に言わなきゃいけなかったとかを後で言われる。これについては私が取り掛かる前に確認すれば回避できるはず。
問題は、先輩に確認した通りにして多方面に迷惑をかけたこと。教えた先輩では無い人に散々チクチクと言われ、後になって考えれば私が全部悪かったと納得はした。でもそれはことが起こった後の感想だ。未知の仕事について、そういうもんだと最初に言われたらその通りに動くのが普通じゃないのだろうか、私が馬鹿すぎるのだろうか(たぶん馬鹿なんだと思う。)この事件で、職場内での自分のイメージが最悪なものになった。翌日は肌で感じるくらい皆よそよそしかったし。そもそもこれ以前から仕事の粗さは出ていたのだが、新人なので多めに見てくれていたのも身に染みて感じた。その我慢のコップを、1年経たずに溢れさせてしまったのだ。この状態で年明けに出勤しなきゃいけない気持ちが分かるだろうか。
私の職務怠慢で迷惑がかかったので、私は加害者だ。そんなつもりはなかったし、事前に教えてくれたらできたのに。悪気なく加害者になるのは本当に怖い。私が全部悪いのだ。同じことがあっても、先輩は知らないフリをするだろうから。信じない、自分のことは何も喋らない。
先輩からしたら、とんだゆとり世代の仕事が出来ない不真面目な新人が入ってきたという感じだろう。実際、自分で本を買って勉強なんて一切していないし、知識不足に関してはもう何を言われてもヘラヘラするしかない。新人と言う立場に甘えていたのはその通りだ。それに、教える人間とレベルが違い過ぎる。生まれたてのポケモンをチャンピオンロードでレベル上げしてるみたいなものだ。
私だけ一般人で、手順も何も分からない、先輩は大ベテランしかいないので、分からない気持ちも分からない。孤独だ。それに先輩の雰囲気も好きじゃない。仲はたしかに良いが…問題はそこじゃない。今年の7月に大災害が起こって、1日でも仕事が休みになればいいなーなんて、最悪なことを考えている。