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 今日はバスで山形まで行き、彼と遊びました。楽しかった~。

 まず天童に行ってくずもち屋さん(和のしずく)のわらび餅を食べた。思ったより量が多かったけど、公園でゆっくり食べるのも良いなと思った。イモ天ではいつも通り服や帽子を見たりした。彼がキャップをかぶったけど似合っていなくて笑いすぎてお腹が痛かった。そのお店ではとても素敵な鞄を買ったので大事にする。彼は書店で四畳半神話大系の小説を購入していた。私がおすすめしたやつ。アニメは曲も含めてすごく良かったから、小説も面白いといいな。
 その後しまむらで試着大会をした。二人ともカビゴンの青いTシャツが似合わなくて面白かったけど、意外といけるものも発見できたので良かった。しまむら系列の店は宝さがしだと思った方が良い。

 山形市で日傘を買うのが今日の目的だったのだが、今の季節は入荷してないようだった。日傘に季節とかあるんだ!? 彼がしっかり道案内してくれたのに日傘をゲトれなくて残念だったけど、おかげで付近の素敵なカフェに行けた。廃校を利用したカフェで、すごく落ち着いた場所。時間が余った時いろいろ選択肢を出してくれるところ、尊敬する。

 カフェで彼が中学生の時のことを話してくれた。誰しも学生時代に抱えるものはあると思う。それを話してくれた事が嬉しかった。プレッシャーや期待を一身に背負う立場はとても大変だと思う。ただ彼に大切な友達が4人もいて、学友にも恵まれたことを喜ばしく思うし、彼もそう思っていることを素敵だと思う。私は彼の頭が良いところや運動ができるところを格好いいと思うけど、大丈夫よ、別にそれが重要なわけではなくて、そういう経験を経た優しい彼自身が好きなのだ。これはきっと誰でもそうで、立場や能力が変わってもあなた自身に対する情がある関係は長く続くと思う。

 人から話を聞く時は受け入れる姿勢が大切だと思う。でも大変だったねとかしんどかったねという言葉だけで果たして良いのかよく悩むのだ。皆、私に相談してくれた時私はたしかにこういう言葉を使っていたと思うけど、口に出すまでは葛藤があったことを知ってほしい。大変だったねと言う私は、その辛さを体感していないのに受け入れたようなことを言う。これは無責任だろうか。
 私のやりたい仕事もそういうことに近いから、こういう問答を自己に迫る。受け入れることは心の傷を手で撫でるようなことなのだ。傷の形を明らかにしてあげること。見たものを全て共有したとしても感じ方までは共有できず、あくまで傷を触る側でしかいられない。
 ちょっとややこしい話になってしまったけれど、辛さや困難はあなただけの経験の一つだから、大事にしてね。勿論受け入れてくれる人がいればそれに越したことはないけれど。相談員はうんうんと聞いてくれるけど、経験から得たものはあなただけのものだよということです。

 今日は初めて彼と手を繋いで幸せだった。帰りのバスでもとても幸せな夢を見た気がするんだけど忘れちゃった。彼は瀬という漢字が入った苗字が好きと言っていた、あと飛行機雲を眺めるようになったらしい。この2つを合わせたような内容だった。