4/6・4/7

 ごめんなさ~~~い!昨日の日記忘れてた笑

 昨日は入学式だったけど、30分くらいで終わってしまってその後の説明会は保護者向けだったので学生だけの参加の人は解散しても良いよと言うことになりすぐに帰った。帰りの通りに小さいカフェや不思議なお店が並んでいる通りがあって、2軒並んだソフトクリーム屋さんの看板が可愛かった。
 入学式から帰ったらヒールでたくさん歩いたせいで足の裏の皮膚を負傷してしまったのだけど、足の裏の怪我って見なければ痛くならないので不思議。「地元最高!」っていうツイッターで有名な漫画で、足の裏って神経が集まっていて痛みをもろに感じるから拷問にはうってつけだという知識を得たのだけど、そこまで大きい痛みじゃなくて良かった。
 帰ってから「近畿地方のとある場所について」を一気読みした。怖すぎてトイレに行けなくなったので図書館まで行ったのに、夜にはケロッとしていた。ばかすぎる。

 

 今日は初めて授業があった!午前には提出書類とか学校生活の留意点などの説明があり、教科書もたくさんもらった。これを11ヶ月で覚えるのでめちゃくちゃ大変だと思うけど、新品の教科書はやる気が湧きますね。アルバイトについては実習に被らなければオケみたいなことだったので、一応面接の連絡だけしてみた。といっても、スケジュールを見たら実習で1か月くらい日程が分からない時期もあるので正直落ちると思う。証明写真を印刷したら履歴書も無料で印刷できるキャンペーンがあってラッキーだった。
 スケジュールは毎日の授業が事細かく載っていたので安心した。今日は学科長の先生が担当している精神保健理論の展開という授業を午後にやり、精神保健福祉法の変遷を学んだ。下のところは私の頭の整理のためなので読み飛ばしてくだ~。

 1900年(M33)では精神障害の方の扱いは精神病者監護法というものに基づいていて、言い方は悪いけど閉じ込めていた(私宅監置)。負担は閉じ込めている人が請け負うので国からの支援は出ない。この現状はさすがに良くないので精神病院法により精神病院が設立される。1950年(S25)に精神病者監護法が「精神衛生法」に変わったが、入院形態として措置入院、保護義務者の同意入院しかなかった(本人の同意がなくても入院させられる)。精神衛生法の後にライシャワー事件が起こり緊急措置入院の導入と共に、患者の通院費公費負担制度が始まり保健所が精神衛生医療の第一線になるなど、注目と共に少し保護の対象となった機運があるように感じる。その後宇都宮病院事件で患者の立場について疑問が生じる。これを機に1987年(S62)「精神保健法」となり、やっと任意入院制度が始まる。

 この後もこの2倍くらい続くんだけどもう自分で復習します。先生はこれの授業プリントとして1975年生まれの女性の事例を載せていて、読んでてフォレストガンプかと思った。補助教材として完璧すぎる。入院者からすると自分を治療するための法律が変わるのは大きな変化だし、これは精神医療だけじゃないよね。仕方のないことかもしれないけど日本は大きな事件が無いと法律が改正されないがち。精神病者監護法の制度の中で犠牲になった人は多いと思うし、それは患者だけではないだろう。どの病気でもそうだけど、保護者の負担は経済的、心理的にも大きいものだし、実情を知っているわけでは無いので一概にとは言えないけど然るべき人に障害年金が渡るのはまだましな世の中だと思う。私は物理的なケアをできるわけでは無いので、せめて患者さんとそのご家族のエンパワーメントに繋げられるような支援をしたいと思った。あとめっちゃどうでもいいけど最近Wi-Fiがよく切れる。